グループのリーダーであり創始者はマルコ・アントニオ・ギマラエスである。彼はバイーアのUniversidade Federal da Bahia(バイーア連邦大学)でWalter Smetak(ヴァルテル・スメタキ)に出会い、彼のクラスを受講する。ヴァルテルはエルメート・パスコアールやエギベルト・ジスモンチと同じく、高い知性でブラジル音楽を発展させた現代音楽の鬼才で、スイス人でありながらブラジルに移住し、トン・ゼー、カエターノ・ヴェローゾ、ジルベルト・ジル、トルクアート・ネトといったトロピカリア・ムーヴメントの中心人物たちにも影響を与えた知る人ぞ知る存在である。
Documentário sobre Anton Walter Smetak.
アントン・ヴァルテル・スメタキについてのドキュメンタリー。なぜかpart 2しかありません。
Cláudio Luzが脱退した後、1984年に3rdアルバム『Tudo e Todas as Coisas』をリリースするまでギタリストのBento Menezesが加わる。このアルバムから伝統的な楽器も時折使用するようになる。
1981年から1987年の期間で彼らはブラジルでの地位を確立。ミルトン·ナシメントの『Ânima』に参加し、スペインにおいて初の海外ツアーを開催する。1987年にはマンハッタン・トランスファーのアルバム『Brazil with the US』に参加、アメリカでのパフォーマンスを見たポール・サイモンが自身の1989年のアルバム『The Rhythm of the Saints』に誘い、レコーディングが実現。その際フィリップ・グラスが訪れ、ウアクチにとって5枚目の作品となるポイント・レーベルからの作品『MAPA』をリリースするきっかけとなった。1992年にリリースされた『MAPA』(※注1)はポルトガル語で地図の意味でもあるが、1986年に亡くなっていた友人のMarco Antonio Pena Araújoの死を追悼したアルバムでもあった。彼は手紙の最後にいつも頭文字であるMAPAと記していた。
1993年にはグルーポ・コルポのバレエのための音楽をフィリップ・グラスが担当することとなる。『Águas da Amazônia - Sete ou oito peças para um balé』と題されたアルバムで、演奏はウアクチが担当。楽器の特性を熟知したマルコ・アントニオ・ギマラエスがアレンジを担当したが、グラスの楽曲を他人がアレンジするのはコレが初めてであった。この音楽は1999年にはポイント・レーベルからリリースされた。2004年にグラスはオリンピックを控えたアテネのプレ・イベントにおける音楽を依頼され、再びウアクチを招待。彼らはアテネで演奏した。
Philip Glass - Aguas da Amazonia
1994年から、ウアクチはポリスのドラマーであるスチュワート・コープランドの世界ツアー『Stewart Copeland and the Rhythmatists』に参加。彼のアフリカでの経験に基づいたアルバムとヴィデオ制作をサポートを担った。このときにはスティングやレイ・レマと活動するPercussion de Guinneaとも共演した。
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